活動報告

コラム~第19回「台湾228事件」

2022.12.21

日本人では台湾228事件は知っている人は少ないと思う。1947年2月28日に台湾では、本省人と外省人との暴動があり、その後暴動の責任者として私たち中央大学出身の本省人の弁護士が50名以上殺害・処刑された事件である。その慰霊を兼ねて228事件記念祭に参加した。中央大学では、千羽鶴を寄贈した。その慰霊祭には雨の降る中蔡英文総統も参加された。

その事件とは、70年前の1947年2月28日に台北市の路上で闇たばこを販売していた本省人の女性に対して国民党の官憲が摘発し、女性を銃剣の柄で殴打し商品を没収した。その横柄な態度に本省人が反発し暴動になった。その暴動がエスカレートし、本省人が台北のラジオ局を占拠し、全国に「台湾人よ立ち上がれ」との呼びかけたために台湾全土に暴動が広がった。そこで蒋介石の国民党が中国本土から援軍を派遣し鎮圧した。その鎮圧にあたり、多くの本省人の知識人が殺害・処刑された。その迫害された知識人のなかに戦前日本の大学で学び弁護士となって台湾に帰国し本省人として活躍していた中央大学、早稲田大学等の100名以上の日本出身の弁護士がいた。その事件の慰霊碑として台北に228和平公園ができている。詳しい内容は、門田隆将著「汝、ふたつの故国に殉ず」角川書店を参照していただきたい。

現在の台湾では出自により「本省人」と「外省人」とに区別されている。「本省人」とは第二次世界大戦終了時台湾に居住していた先住民系台湾人と戦前に中国福建省を中心として移民してきた漢族系中国人のことをいい、「外省人」とは戦後国民党として台湾に逃れてきた中国人をいう。「本省人」は、戦前日本が台湾を統治していたことから日本語教育を受け、一応親日的であるが、「外省人」は、日本語が解らず中国人であり親日的ではない。現在の台湾2世、3世は、戦前の日本の統治も知らず、その区分があいまいとなっている。戦後台湾は日本の統治から解放され、「本省人」は台湾の「祖国復帰」を喜び、中国大陸から来た国民党を歓迎した。当時、蒋介石の国民党は中国で毛沢東と内戦をし、その内戦で敗勢となり台湾に逃げてきた。そこで蒋介石軍が台湾を統治することとなったが、やがて彼らの軍人官僚は横領、強盗等の腐敗は激しくなり「本省人」は失望していった。


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